AIは人の仕事を“奪わない”。ライトノベルのグローバル化に挑む小学館が、人の手をメインに据えながらそれでもAIを使う理由

公開日:2024/10/23

変更日:2024/10/23

2024年7月、株式会社小学館がライトノベル配信アプリ「NOVELOUS (ノーベラス)」を北米で提供することが報じられました。人気作「塩対応の佐藤さんが俺にだけ甘い」や国内でアニメ化された作品など、人気のライトノベル作品を翻訳・配信し、100万人ユーザーおよび数十億円の売上高を目指します。

本アプリのキーとなるのが、小学館も出資するスタートアップ・Mantra株式会社が開発したマンガ翻訳AIの技術です。採算性の観点から海外展開が難しいとされていたライトノベル市場に、最新AI技術と強力な自社IPの合わせ技で挑みます。

今回の挑戦について、ユニバーサルメディア事業局 プロデューサーの和田裕樹さんに詳しいお話をお伺いすることができました。

■PROFILE
株式会社小学館
ユニバーサルメディア事業局 プロデューサー/XR事業推進室 室長 和田裕樹
2001年に小学館に入社後、コロコロコミック編集部、週刊少年サンデー編集部を経て、マンガワン編集長に就任。現在はユニバーサルメディア事業局プロデューサー・XR事業推進室室長として、NOVELOUSをはじめとする新規事業の推進に携わる。

NOVELOUSを基点に、世界中のファンと才能が集まる場を作りたい

―――――本日はお忙しい中、有難うございます。早速ですが、本取材のきっかけであるNOVELOUSについて、概要のご紹介をお願いできますでしょうか。

和田さん
はい。今までの小学館の翻訳ビジネスは、海外の出版社にライセンスアウトする形で行ってきました。「この作品をうちの国でも出版したい」というオファーが入ってくるのですが、弊社の作品が全て読めているわけではないはずなので、まずは日本で売れている作品の中から「うちの国でも売れそうだ」と目星をつけてオファーしていると考えられます。

そんな中、ライトノベルというジャンルは基本的に発行部数が多くありません。もちろん売れている作品もありますが、部数で見た時に海外バイヤーの目に留まりづらいんです。オファーがなければ翻訳版は出ません。ライトノベル作品は結構あるのに、翻訳されていないものが多いという点に注目しました。

採算の問題は当然ありますが、やはりグローバルに向けたチャンスは全ての作家さんに与えられた方が良いと思いますし、知られないまま消えていくことのほうが問題だと思っています。英語版が出ていれば、もしかするとハリウッドの監督が「これをドラマにしたい」という話になるかもしれない。日本語版しかないとその可能性すら生まれません。

そこで、AI翻訳エンジンを持っているMantra株式会社と協働して、オファーがなくても自社で翻訳版ライトノベルを世界に出せる座組を作ろうと考えました。このAI翻訳エンジンは、僕がマンガワン(コミックアプリ)編集長だった頃に海賊版対策の一環で使ってみていたもので、実用性に手応えを感じていました。

アプリとして出そうと思った理由は、コミュニティを作りたかったからです。僕がマンガワンでやったことって、漫画をライブにしたことなんですよ。更新日の0時になると読者が一斉に読みに来て、コメント欄に感想を書く。それがすごく大事なんです。

当たり前ですが、作品自体の内容そのものはいつ読んだって一緒です。でも「自分と同じ感想を持った人が日本のどこかにいる」と感じることや、コメントがどんどん増えていく感じは、リアルタイムで見ていないと体験できません。内容は知っているけれど「あれからどんな反応があったかな」ともう一度読みにいってしまうとか、自分が残したコメントに反応が返ってくることも含めて、1つのコミュニティが生まれます。これってイベントであり、ライブなんですよね。それを本だけで生み出すのはなかなか難しい。

そんな体験やコミュニティを作っていく仕掛けをグローバルにも持っていきたいということで、ただ翻訳して出すのではなくノベルアプリとして出すことにしました。ライトノベルの市場が小さい分、「こんなところまで読みに来るマニアが自分以外にもいるんだ!」という体験ができた方が、より熱が伝わるんじゃないかという狙いもあります。
NOVELOUSを紹介する小学館和田さん
世界にライトノベルがもっと知られて読者側にファンダムができれば、今後は出版社の目利きで出版されるのではなく、読者から先に「面白い作品があるから本で欲しい」という要望を受けて出版されるような順番に変わっていくんじゃないかなと。ただ今は知られていない以上難しいので、まずはグローバルに向けてこちらから提案ですよね。もしかしたら、こういうやり方だからこそ跳ねる作品が出てくるんじゃないかと個人的に期待しています。

あと、NOVELOUSを作った理由が実はもう1つあります。日本の作品を翻訳して出すだけではなく、向こうの作家さんたちに「ここに自分の作品を載せたい」と思ってもらいたいんです。英語圏の人が書いた作品ならそのまま翻訳なしで載せられますし、もしそれがすごく面白ければ、今度は日本語に翻訳して日本で出せば良い。そんな風に、世界中の才能を獲得する「場」としてNOVELOUSを使えるようにできたらと考えています。

人の手で「性格付け」することで、AI翻訳後もキャラの個性を再現

―――――とても夢があるプロジェクトですね……!AIを使って翻訳するとのことですが、何か作品のデータをAIに食べさせると、ぱっと外国語に変換されて出てくるみたいな感じなのでしょうか。

和田さん
それが結構ね、人力なんですよ(笑)。今回のインタビューでぜひお伝えしたいことなんですが、「AIで翻訳している」って言うと「AIが翻訳している」という話にされてしまいがちなんです。

―――――???

和田さん
AIがいれば人間はいらないかというと、全くそうではないんですよ。僕は個人的にテイマー(調教師)と呼んでいますが、学習ルールを教えるテイマー側がどういう指示をするかでAIのアウトプットは変わるので、テイマーの指示が下手だと思ったような内容が返ってこないんです。AIが理解しやすいような情報整理や命令の仕方をしないといけないので、人間側にも技術が必要です。

それに、NOVELOUSのUIはこのように話者アイコン+ふきだし形式になっているのですが、

NOVELOUSのUIイメージNOVELOUSのUIイメージ

本一冊の全文テキストがあったとしてそれはただのテキストデータなので、登場人物との紐付けができていないとAIもうまくデータを引っ張ってくることができないんです。

―――――すみません、こんがらがってきてしまいました……(泣)。

和田さん
もっと前提のところから話しましょうか。日本語は「僕は〇〇です」「私は〇〇よ」「俺は〇〇だぜ」「うちは〇〇だっちゃ」というように、主語×語尾のパターンが豊富にあって、セリフを読んだだけで誰が話しているのかがわかりやすいです。でもこれを英語にした瞬間、「自分」を指す言葉は全員同じ“I”になってしまうんです。

―――――あ!確かに……!

和田さん
こういう場合、セリフの後に例えば“Mr.Sato said.”とつけて「~と、佐藤さんが言いました」のような表現をするのですが、このUIにすることで“said.”がなくても誰が話しているのか一目瞭然になります。また文字だけがバーッと画面に並ぶことがないので、読み味を軽くすることもできます。

じゃあこれを実現するには何が必要かというと「各セリフを誰が喋っているのか」をまず抽出しなければいけないんですね。

―――――なるほど、それで「登場人物との紐づけ」……!

和田さん

そうです。そのためにまず日本人が全部読んで、セリフを1つ1つ分解して翻訳作業できる形に整えてから、AIに渡します。単なる直訳にならないよう、話者の人物像やそもそものストーリーと合わせて学習させないといけないので、そのあたりを上手くやるためにも、人間の力がめちゃくちゃ入っているんです。

―――――やっと想像できてきました!ちなみに、「僕」「私」「俺」や「うち〇〇だっちゃ」のような口癖はキャラクターの個性の表現でもあると思うのですが、そういったニュアンスも再現できるのでしょうか?

和田さん
できます。英語にも「ぶっきらぼうな感じ」とか「丁寧な感じ」のような表現はあるんですよ。「汚い言葉を使う」とか「やたら略語を使う」のようなものもあわせてちゃんと性格付けして、翻訳に反映しています。

1巻の時点で頑張ってそれをやっておけば、2巻3巻と続く分にはその学習データが使えるので、基本的には楽になりますね。まあ、人間は全然楽にならないんですけど(笑)。

AIはブーストツール。エンタメを創るのはあくまで「人の手」

―――――そうなんですか?!全てAIに任せるのは無理でも、楽にはなっているのだと思っていました。

和田さん
AIという文脈を持ち出すとそういう「AIが人間の仕事を奪う」みたいな方向に行きがちなんですが、むしろ人間の仕事は増えますよ。特に翻訳に関しては、AIによって翻訳数が増えることで今まで発生しなかった案件がどんどん出てくるので、そもそもの仕事数が増えるんです。

先ほどの性格付けのお話にもあったように、AI翻訳といっても常に人の手が入っています。翻訳素材の作成はもちろん、翻訳結果のチェックにも二重三重で人の目が入ります。まず日本人が読んで、次に英語と日本語ができる人が読んで、最後に英語しかできない人が読む……というように、しっかりと段階が設けられています。

AIの翻訳データでそのまま使えるのは大体8割ぐらいですし、チェック体制は普通の翻訳と変わりません。作品の最終評価者は人間なので、最後は必ず人間がチェックしないとだめなんです。

―――――では、AIを使う理由は何なのでしょうか?

和田さん
映画の字幕と言えば戸田奈津子さんというように、第一人者になるほど優秀な翻訳者の数はどうしても限られています。翻訳したい作品数に対して、彼らのキャパシティは全く足りていません。でも翻訳者が自分の技術をAIに学習させれば、作業量が5倍、10倍になる。つまり、1人で5人分の作業ができるようになるわけです。AIに代わりになってもらうのではなく、AIを使って翻訳者の処理能力を上げるというイメージです。

そういう意味でAIが翻訳作業を手伝ってくれるというのは正しいですが、「AIが翻訳している」という風には僕はあまり言いたくないんですよね。それにNOVELOUSは縦スクロールUIなので、紙の本として出版する場合はページの概念やイラストを追加せねばならず、改めて通常の翻訳・出版プロセスを踏む必要があるので、(既存の翻訳ビジネスと)バッティングすることもありません。

―――――AIは既存の仕事を奪うのではなく、処理能力をブーストする存在……!実は、今回の一報を拝見したときそこが一番気になっていたので、いちエンタメ好きとしてなんだか嬉しいというか、安心しました。
AIとエンタメの関係について語る小学館和田さん
和田さん
AIが翻訳していると言われて、面白そう!とはならないですよ(笑)。「最近新しいレストランができたんです、なんか機械が全自動でやってるみたいで」って言われても、ネタとして行ってみたい気持ちはあっても、少なくとも美味しそうな感じはしない。

それと同じで、ネタとして興味はあっても、エンターテインメントを創っている後ろにAIがいることがマイナスイメージになるのは当然です。だからこそ、ただ「AI翻訳で作りました」ではなく、「AIによって翻訳速度をあげることで、今まで海外の人の目に触れてこなかった作品をもっとたくさん送り出したい」っていう、そこまでを必ずセットで伝えたいんです。

―――――とてもよく理解できました!今更ながら、かなり貴重なお話をしていただいたと思うのですが、全部書いてしまって大丈夫でしょうか……!

和田さん
大丈夫ですよ。というのも、最初のデータ抽出があまりに大変すぎて、真似をするにははっきり言って同じ地獄を見ないといけないので(笑)。

―――――(笑)!

和田さん
「あいつらこんな大変なことやってたの?!」となるに決まっていることがわかったので、やりたいならどうぞという感じですね(笑)。

今の小学館にないものを作って、作家と作品の可能性を最大化する

―――――現時点での今後の展望などはありますか?

和田さん
将来的には、この作中人物ごとにまとめられたデータを幅広く活用できたら面白いなと考えています。当たり前ですが、普通書籍のデータはそのようには作られていませんから。

例えばその作品が音声サービスに対応するとなった場合、テキストを機械音声で一律に読み上げることは今でも可能です。そこに話者の人物データを活用することで、可愛い女の子の喋り手には可愛い女の子の声を、おばあちゃんの喋り手にはおばあちゃんの声を割り当てることができます。

こういったデータを保有していることが将来的な財産になるんじゃないかというのは最初から考えていたことでもあるので、今後のアプリのアップデートもそのあたりを意識しながらできたらいいなと思っています。

―――――なるほど!自社でIPを保有しているゆえの強みでもありそうですね。

和田さん
そうですね。あくまで社内用の遊びではありますが、原作の情報を読み込ませた対話型のキャラクターAIも実験的に作ったりしています。先ほどの性格付けされた人物データとは厳密には作り方が違うのですが、このようにAIに対して話者の人物データを当てることで、翻訳はもちろん色々な活用法が考えられそうですよね。

―――――夢がありすぎる……AIヒンメル(葬送のフリーレンの人気キャラクター)がいたら、現実に帰ってこれなくなってしまいます……。

和田さん
ヒンメルでも他のキャラでも、人物データがあればできますよ。例えばカウンターとお酒だけのお店を用意して、お客さんは皆VRゴーグルをつけて(笑)、推しキャラクターと会話しながら飲める居酒屋……みたいなのがあっても面白いかもしれません。

ちなみにIP×XRの文脈で弊社が既に実現しているものとして、「きらりん☆レボリューション」の20周年記念バーチャルステージや、他社との共同プロジェクトですが「田原俊彦さんのデジタルアーカイブ化(IP化)企画」などがあります。

―――――すごいです!AIにとどまらず、関わられている領域がとても幅広いように思うのですが、そもそもの和田さんのミッションは何なのでしょうか?

和田さん
今の小学館にないものを作ること」ですね。 IPの活用というと作家さんの作品を最大化させることが基本ですが、昔は本を出せばそれで充分だったんです。だから自分たちは本のカテゴリーで、他のカテゴリーはライセンスアウトすることでずっとやってきた。

でも今は本当に各カテゴリーで境目がなくなってきていて、これは一体何のカテゴリーなんだ?というものも増えました。そこで、「作家が作品を預けたいのはどのような会社なのか」という視点が重要なんです。作品を出した先に世界展開までできる会社の方が良いし、同様にバーチャルライブまで展開できる会社の方が良いですよね。

―――――「作家さんと作品の可能性を最大化する」という目的が全ての軸にあるのですね……!ないものを作るにあたり、壁や苦労はなかったのでしょうか?

和田さん
「いかに事業化するか」というのは、やっぱり大変です。このジャンル(AIやXR)って採算がとれているところがあまりなくて、どこも赤字の中うっすらある可能性を信じて、新規事業的に投資している会社がほとんど。そんな状況でどうやったら事業として持続可能な形になるかを考えるのには、苦労があります。

例えば、ただ「キャラクターとお喋りできるようになりました!」というモノだけ作っても事業にはならないんですよ。IPものは特に、「誰となら喋りたいけど誰とは喋りたくない」というのが必ずありますしね。いつ・どんなシチュエーションで・どのキャラとお喋りをするのかがとても大事なんです。

使う場面とそのIPを掛け合わせる意味をちゃんと絞って、ピントを合わせにいかないと、お金だけたくさんかけてただ「喋れるようになったモノ」だけが残る(笑)。こういうことって、割とありがちなんですよ。

うちは4人だけの部署でアイデアに対して動かせる人数が少ないですし、そういう意味でも企画の整理整頓を進めてだいぶ絞りましたが、この絞る作業も大変ですね。あとは実際にやってみるしかないですが、それでも全部外れるかもしれない。仕事上仕方ないのですが、そもそもが当たらない中での勝負なので、絞らないとなおさら当たらない。だからNOVELOUSもそうですが、ある程度勝算はありそうな……少なくとも話を聞いた人は「面白そうだね」と言ってくれているようなものには仕上げています。

生まれた技術はなくならない。それなら“正しく”使いこなせた方が良い

―――――チャレンジングな取り組みをされていることが、とても伝わってきました。最後にもう一度NOVELOUSにお話を戻すと、直近の動きとしては翻訳を繰り返してAIの精度を上げていくことになるのでしょうか?
AI技術の活用について語る小学館和田さん
和田さん
精度は使っていけば上がっていくと思いますし、実際に上がってきています。単に言語を英語にするだけなら、もうGoogle翻訳とかでもできることですしね。

そういう意味でも、翻訳にわざわざAIを使うことに対してネガティブなことをいう人たちの気持ちは、実はわからなくもないんです。でも技術って、後退することは基本的にない。インターネットもスマホも、なかった時代に後退することはもうありません。それと同じでAIの技術ももう生まれてしまっていて、こちらが望んでいるかどうかに関わらず進歩して使われていくことだけは間違いないわけです。

それなら、良いとか悪いとか僕が論じることではないですが、用途に応じて「正しく便利に使っていく」ということが大事だと思うんですよね。僕らの業界の場合、使い方をわかっていない人が著作物にAIを掛け合わせたら、大変なことになってしまう。いつの間にか著作物を盗まれてそっくりな別物を作られてしまうとか、いろんな問題が出てきてしまうことも想像がつきます。だからそうならないよう僕たちが勉強して、ケースを積み重ねていって、正しく使える状態になっていかなければならない。自分たちが使うAIを自分たちで育てるんです。

ネガティブな心配はたくさんあるけれど、それは技術が使われていく以上どっちみち起こりうること。それなら自分たちの手元で把握しておいたほうが対処しやすいトラブルになります。もしかするとそこからまたエンターテインメントが生まれるかもしれないし、その解決策が結局アナログなところにあったとしてもまた面白い。

ネガティブな事態をブロックするためにも、正しく技術を使って、新しい作品を出していく。まずは目先の、まだ作品が届いていないところに届けるということを、しっかりとやっていきたいですね。

―――――大変、勉強になりました。貴重なお話を有難うございました!

この記事を書いた人

HIGH-FIVE編集部
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